大きく変わる学校教育 現代の子どもたちに必要な教育環境とはどのようなものか(前編)

対談シリーズ

(最終更新日

 

素直でまじめな子どもたち!?

鈴木:我々は四半世紀近くクセジュで教育活動を行ってきました。今の生徒と昔の生徒を比べると何か違いはありますか

宮崎:そこまで大きな違いはありませんが、昔と比べると今の生徒は素直で良い子が増えている感じがします。

佐々木:確かに、昔は塾の行き帰りに問題を起こすことが結構ありましたね。例えば、塾が終わってすぐに家に帰らずに寄り道をする。塾に行くといって遊びに行くとか。

宮崎:授業が終わって夜11時を過ぎてもまだ家に帰ってこないという連絡を受け、講師で手分けして捜索する、などといったことがよく起こっていた記憶があります。結局、家の近くのコンビニで立ち読みしているところを確保?したり。

鈴木:中には家に帰ると親に怒られるから、家の近くで朝まで過ごしていた生徒もいましたね。佐々木先生と一緒に朝まで探しました。

佐々木:生徒のことをよくわかっていたので、どこにいるかを絞って探して、結局、警察よりも先に見つけ出しましたね。家の近くの(マンション階段の)踊り場で発見しました。

宮崎:授業中に先生の話は聞いてはいるけど、宿題は全くやってこない生徒もいました。

鈴木:親にも来てもらって三者面談を頻繁にやっていましたね。

佐々木:そう考えると、今の生徒は先生の言うことをよく聞く子が多いです。

宮崎:授業中も真面目にノートをとっている姿をよく目にします。でも、単にノートをとっているだけになっています。ですから、クセジュAL型学習法(以下AL法)を用いて「真面目にノートだけをとっている子」にもきめ細かく指導している最中ですが。

●クセジュ流AL型学習法「状態マトリックス」

佐々木:昔の生徒は目に見える形で問題を起こすので、ある意味わかりやすかったのです。でも、今の子どもたちは問題点が顕在化しづらい。最近多いのが一見まじめに授業を受けているけれども、いざテストをやるとわかっていないというケースですね。

鈴木:クセジュのAL法指導にあてはめると状態④の生徒ですね。先生の板書をただ写すだけ。つまり、自分の頭で考えない。メタ認知力が完全に埋没してしまっている状態の生徒です。成績が伸びない生徒の大半が状態④と言えますね。

“メタ認知力”とは

自分に今何が足りていて何が足りていないかを自分を俯瞰視して考える力。基本的に全員が持っている力だが塾や学校で教えすぎるとこの力は埋没してしまう。

 

宮崎:さらに状態④の生徒はよく負のスパイラルに陥ります。一生懸命やっているのに成績が伸びない、だから環境()を変える、それでも伸びない、その結果自信が持てなくなり自己評価が下がる。そして勉強に対するモチベーションが大幅に低下する。

鈴木:宮崎先生がよく使う“自己評価”という言葉が出てきましたが、昔と比べると自己評価が低い生徒は多いのでしょうか?

宮崎:多くなったように感じます。昔の生徒は「自分はやればできる」と根拠のない万能感を持っている子が多かったです。授業中はあまりノートをとらないけれど、先生の話は聞いているし、考えてもいる。つまり、授業中にメタ認知力は活性化している状態です。AL法指導にあてはめると状態②の生徒です。

佐々木:このようなタイプの生徒は内的な動機づけがうまくいけば自然と努力するようになり、最終的には入試でも上手くいくパターンが多いですよね。AL法指導で見ると、②の状態から①の状態に変化したわけですね。

鈴木:このタイプは、高校受験だと「自分が心底行きたい!」と思えるような学校が見つかるなどのきっかけで大きく変わる場合が多いです。自分に何が足りないか、何が充足しているのかを判断することに長けているので受験勉強もそこまで苦に感じない。

宮崎:そのような生徒は、楽をして学力を上げたいと思うことが多いです。その結果、工夫が生まれ、自ずと分析力が育まれるのです。受験はある意味ゲーム的な要素もあり、いかにして他者と差をつけるか、そのためには自分がどういう戦略をとるべきかを主体的に考える生徒のほうが圧倒的に強いのです。

鈴木:塾は世間一般には“合格するためのテクニックを伝授する場”と思われています。塾に行けば最短で合格するための技術が身につく。よって塾の先生の言うことをただ聞いていれば何とかなると思ってしまう風潮はあると思いますね。そうなると子供たちは受け身の姿勢で塾に通い、結果としてAL法指導でいう状態④に陥ってしまいます。受験に必要な戦略も先生たちがイニシアティブを握って伝えるので、ますます生徒は受け身になる。

佐々木:そうなると“自分で考える”機会が圧倒的に減ってしまいますよね。パスカルが「人間は考える葦である」という名言を唱えたように、人間の基本的行動の根底には「思考する」という行為があります。それが奪われていくこと自体が大きな問題ですよね。

鈴木:一般的な塾のデメリットはそこにあります。クセジュは創業者の管野淳一が「普通の塾ならわざわざやる必要はない。どうせやるなら社会で活躍できる人材を育成しよう!」という掛け声のもと35年前に開校しました。管野も塾がただ合格するためのテクニックを身につける場として成り下がっていくことに警鐘を鳴らしていたのです。江戸時代の塾、とりわけ松下村塾のような塾を目指す。その終着点として人間教育をうたい、今に至っています。江戸時代の塾に見習い、“思考力と知的関心の涵養という2本柱”がクセジュの伝統なのです。

宮崎:知識や技能をただ身につける、そして演習で問題処理能力を上げていく、その結果うまくいったら自信になる、うまくいかなかったら自己評価が下がるという構図はこの50年間で完璧なまでに出来上がってしまいましたね。これは日本の教育の根幹にある大きな問題です。

鈴木:そういう問題を背景に、この10年間で国の教育に対する取り組みが大きく方向転換しようとしています。2020年大学入試制度改革もその大きな動きの一つです。この改革を我々は人間に本来内在する好奇心と思考力を最大限に引き出すことを目的とした教育改革だと解釈しています。

佐々木:まさにクセジュが35年間ぶれずにやってきたことですね。特にここ数年間は“クセジュの授業によって身につく力を6つに分類”し、それぞれの教科が6つの力をつけるための切り口であるという考えを取り入れています。特に2020年の新中1はカリキュラムをさらにブラッシュアップして6つの力がバランスよく身につくような学習環境が整いました。

 

子どもたちはなぜ、考えなくなったのか?

宮崎:ここで1つ聞きたいのですが、なぜ考えない生徒が増えてきているのですかね?

佐々木:ひとえに情報化社会の負の側面だと思います。今の時代何かわからないことがあったらすぐにネットで調べる、最近はあまり使われなくなりましたがよくグーグルという検索エンジンを使って“ググる”という言葉を頻繁に耳にしましたよね。ググって出てきた答えをそのまま無批判に受け入れてしまう。

鈴木:いわゆる“情報リテラシー”という言葉が紙面を賑わせているのもこのような問題が背景にあるからですね。先ほど出てきたメタ認知力につながりますが、“ネット社会の利便性と万能性”を信じるあまりに、俯瞰的な視点から物事を考えるという機会が無くなっています。そういえばまだネットなどがなかった時代、調べ物の課題をやるのに図書館に行ったりしましたよね。

宮崎:その際、ひとつの課題を調べるにあたって複数の本をもとに情報を得るということを自然にしていたと思います。いわゆる“言質をとる”ということが無意識にできていたのです。しかしながら、今の時代ウィキペディアに代表されるように、課題を調べるにあたって“一見模範解答と思われるもの”がネット上にあり、それをただ写すだけで課題が完成してしまいます。情報化社会の利便性は数多くある一方で、情報リテラシーを高める機会が完全に奪われているといっても過言ではありません。

佐々木:人間は利便性を追求する過程では思考や工夫を行いますが、いざそれを手に入れると途端に思考が停止する。特に、ツールを開発する側でなく、何の苦労もせずにそのような利便性の恩恵を受ける立場の我々は、本当に情報化社会の功罪を自覚しないと“思考停止”という大変な事態に陥ります。

鈴木:一方でネット社会によって世界はますます狭くなっています。それと並行して国際化が大幅に進んでいます。船から飛行機に変わった時代、「真の国際人とは何ぞや?」と叫ばれたように、ネット社会が発展し成熟期を迎える前に我々は一旦立ち止まり、あらためて「国際化」「真の国際人」というキーワードを、その定義から考え直さなければなりません。

宮崎:今の子どもたちがまさにネット社会の成熟期、円熟期を迎える世代であり、彼らにこそ真の国際人とは何かを考えた上での教育が必要になりますね。

後編、コチラに続きます。