6月15日、千葉県民の日。クセジュ小学部では、毎年恒例の芸術鑑賞会を実施しました。
今年の演目は、歌舞伎です。
会場はサンパール荒川。 演目は『仮名手本忠臣蔵』。
「忠臣蔵」と聞くと、主君の仇討ちをする赤穂浪士の物語、というイメージが強いかもしれません。 ただ、今回観劇したのは、その中心の討ち入りの場面ではなく、五段目・六段目。 早野勘平とおかるを中心にした、いわば忠臣蔵の中のサブストーリーとも言えるお話です。
各学年では、事前講座でしっかりと予習をしてから当日を迎えました。 物語のあらすじ、登場人物、見どころを確認した上での観劇です。
まず驚いたのは、本編前に行われた「歌舞伎のみかた」の解説でした。
歌舞伎というと、どうしても少し敷居が高いものに感じられます。 言葉が難しそう。 所作がわからなそう。 静かに、きちんと、緊張して観るもの。
そんな印象を、最初の解説が見事にほぐしてくれました。
たとえば、登場人物同士の関係を現代風の言葉で紹介したり、流行の言い回しを交えたり。「そんなに崩して大丈夫ですか?」と心配になるくらい、フランクでわかりやすい解説でした。
でも、考えてみれば歌舞伎は、もともと大衆に親しまれてきた芸能です。
難しい顔をしてありがたがるだけではなく、笑い、驚き、役者のかっこよさに沸くものでもある。
そのことを、改めて思い出させてもらいました。一方で、本編はとても抒情的でした。
五段目・六段目で描かれるのは、単純な善悪ではありません。 過ちと償い。 忠義と家族への情。 名誉を取り戻そうとする心と、どうにもならない運命の残酷さ。
あらすじは事前に学んでいたものの、実際の舞台で観ると、印象はまったく違いました。 台詞回し、間、視線、身体の角度、立ち姿。 役者の身体そのものが感情を語っているようで、そこに芸術の妙がありました。
特に印象的だったのは、斧定九郎の存在感です。
悪役でありながら、ただ嫌な人物として描かれるのではなく、徹底して「かっこよさ」が作り込まれている。 その美しさがあるからこそ、物語の闇も深く見えるのだと思います。
そして、早野勘平の姿。
追い込まれ、苦悩し、取り返しのつかないものを前にして、それでも自分の志を通そうとする。 そこには、江戸時代の武士の価値観が色濃くあります。 けれど同時に、人間としての普遍的なやりきれなさ、やるせなさもありました。
時代も言葉も価値観も違うはずなのに、なぜか胸に迫ってくる。それは個人の葛藤もありながら武士という社会的に求められた役柄の間での苦労ゆえだったのかもしれません。これは、現代の私たちにも通ずるところがあるのではないでしょうか。
忠臣蔵が長い時間を超えて愛され続けてきた一端を、子どもたちと一緒に体感できた一日でした。
「古典」は、ただ昔のものを学ぶことではありません。 昔の物語を通して、今を生きる私たちの心を見つめることでもあります。
今回の歌舞伎鑑賞が、子どもたちにとって、そんな入口の一つになっていたら嬉しく思います。
クセジュ我孫子教室責任者
松岡 優太朗
