国語を伸ばすなら・・・!?

クセジュの日常

(最終更新日

国語を伸ばすなら…!?

「本をよく読む子=国語ができる」という幻想

 保護者面談でお母さんたちからよく聞く悩みの一つが、「子どもが本を読まない」というものです。しかし、実際は本をたくさん読むことと、国語の成績が良いということにはそれほど大きな関係はありません。

 もちろん、本を読むことのメリットはたくさんあります。読まないよりは読んだ方が良いのは間違いありません。ただ、本を読めば国語ができるようになるという、単純な話ではないのです。

 

「国語ができる子」とはどんな子か

 そもそも、「国語ができる」とはどんなことなのでしょうか。

 実は学校のテストや入試問題で高得点が取れるということと、「国語ができる」ということは必ずしも合致しないのです。中学校の定期テストや入試問題の国語では、「点数を取るための勉強法」がある程度は存在するからです。

 

 私はクセジュで20年以上、国語を教えてきました。その経験の中で「国語ができる生徒ってどんな生徒だったろう…」と思い出してみました。すると、そのような子どもたちに共通するのが、こんな要素でした。

 ・音読がスラスラできる

 ・最後まで文章を読む、話を聞くことができる

 ・大人と話をする機会が比較的多い

 ・(聞いたことがあるだけのレベルも含めて)物事をよく知っている

 ・「共感する力」がある

  つまり、読む、聞く、書く、話すといった日本語を駆使して外的なコミュニケーションを図り、得た知識を体系化していく「総合的な日本語力」こそが国語ができる子が備えている力だと言えそうです。

 そしてここに挙げた項目は、すべて先天的なものではなく、環境を整えることによって身につけることができるものばかりです。

 

国語を教えるは難しい?

 国語をできるようにしたい、そう思って子どもを塾に通わせる人も多いと思います。多くの塾も国語は受講できます。最近は、「作文講座」「読書講座」なんかも流行りになっています。

 しかし、ほとんどの場合、子どもたちが学習するのは方法論なのです。問題の解き方、作文の書き方、挙句の果てには本の読み方まで教えます。これをやっていては、いつまでたっても「〇〇ができないのはやり方が悪いからだ」という発想から抜け出せません。

 国語という教科は、教えるのが難しい教科だと言われています。そもそも、何を教えればいいのかがはっきりしないからです。数学だったら「一次関数」、英語だったら「過去形」とあるのに対して、国語では学ぶべきことが分かりやすく打ち出されていないのです。だから、多くの塾で教える国語の授業が「方法論」で終わってしまうのです。さらに、教える側も「方法論」以外の国語の授業を受けたことがほとんどないので。どうやっていいのかわからないのです。

 つまり、「なにを教えていいかわからない」ことが、国語を教えるのは難しいという印象につながっているのです。

 

国語は「文字を通して自らの世界を広げる」教科

 塾の説明会などで「クセジュでは中2で夏目漱石の『こころ』を読ませています」、と言うと「え!そんな難しい本、生徒は読めるの?」とよく言われます。または「うちの子はそんな難しそうな本は読もうと思わないかも…」などとも言われます。

 

ちなみに、私が子どもたちに夏目漱石の『こころ』を使って授業をするときには、いきなり本は読ませません。

まずは、夏目漱石がどんな人物なのか、その魅力を徹底的に語ります。さらには、『こころ』が書かれた時代の日本がどんな世の中だったのかも語ります。さらに、私自身がこの『こころ』という物語のどのようなところに魅力を感じているのかを語ります。

 子どもたちの「読みたい熱」が高まってきたタイミングで、いよいよ本を読み始めるのです。もちろん、読んでいく中で、難しくてあきらめそうになる生徒も出てきます。そんな時に、「テキストとしてみんなで同じ本を読んでいる」ことが強みとなるのです。

 授業の中では当然、宿題も出します。宿題になっているから、仕方ないけど読む。みんなも読んでいるから読む。これが意外と大事なのです。難しくて長い文章を最後まで読んだ、という経験は、その後の読書にも大きな影響を与えます。

 

 小3から中2までのクセジュの国語の授業はまさにこんな感じです。少し難しい文章に挑戦し、知らない言葉や知らない分野と出会ってもらいます。さらに、書かれている文章の内容にとどまらず、背景や関連事項についても学んでいく。知らない言葉は発音し、意味を確認する。そんな地道な作業もします。

 このような活動を通じて、子どもたちの世界は広がっていきます。

世界が広がれば、物の見方や考え方も広くなります。これによって子どもたちの「内的成長」が促されるのです。心が成長すればするほど、共感する力や相手の意図を読み取る力も身に付きます。

 子どもたちが「内的成長をする」、つまりは大人に近づいていけばいくほど、前述した「国語ができる生徒の要素」にも近づいていくのです。

 

 クセジュの国語の授業は「種まき」だと思っています。

 いつ芽が出るかはわかりません。しかし、どこかで必ず子どもたちの心の成長を助けてくれる葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶはずです。今はよくわからなくても、10年後、20年後に「昔、クセジュの国語の先生が言っていたのはこのことか」とわかる瞬間が来るはずです。

 

 テストで点数を取る方法なんて、中3になってからで十分です。

ただ、中3になった時に国語で高得点を取る生徒ほど、「先生、〇〇高校の入試の小説、めちゃくちゃ感動したよ」といった感想を言ってきます。試験を終えた後の感想が、「できたか・できなかったか」ではないのです。たとえ入試問題として出題された文章であっても、一回一回の文章との出会いを大切にできる、そんな生徒を国語の授業を通じて増やしていければと思います。