こんにちは。講師の松岡です。
現在中2の国語ではドストエフスキーの『罪と罰』(ロシア・1866)を2ヶ月かけて読解しています。19世紀にドストエフスキーによって著されたこの作品。今回は他の小説や映画とつなげて掘り下げていきましょう。長いので2週間の連載になります笑。
作品の発表された19世紀、この時代は「神なき時代」でした。ヨーロッパやロシアというとキリスト教の影響が強い地域ですが、19世紀になるとそこに変化が起きてきます。
神ではなく理性、人間を中心とした時代が訪れるんですね。これは知識人を中心にじわりじわりと広がっていきました。なぜこうなったかはまたの機会に笑。が、現在の社会を見渡してもそうなっていますよね。実社会を支配しているのは科学をはじめとする数々の理論、理性によって生み出されたものに支えられています。
(http://www.wallpaperlink.com/bin/0702/03076.html より引用)
サンクトペテルブルク
1703年にヨーロッパの都市をモデルとして作られた人工都市
さて、ヨーロッパから神が去ったことで、大変な事態になりました。今まで人生に迷ったときの指針、どのように生きればいいのかというときに全て答えてくれていた神がいなくなってしまったわけですから。それにより人間(キリスト教圏の人々)は自分たちで「どのように生きるか」を考え出さなくてはいけなくなったわけですね。
主人公のラスコーリニコフも、この問題にぶつかります。かれはナポレオンに習い、現実に己の理想とする世界を現出させる人物になるために、罪を犯します。そうすることで彼も己の理想で世を変える人間になろうとしたわけですね。地上における最高法規(=神の法)を乗り越える殺人を犯すことで、神を踏み越え新たな法を作ろうとしたわけです。
この「どう生きればいいのか」問題はその後もずっと議論されることになります。ノーベル文学賞を受賞したアルベール=カミュは『異邦人』(1942)で神を否定した男、ムルソーの生き様を描きます。彼は死後の世界や愛や結婚、罪の懺悔(全て神の恩寵に頼るものですね)を否定し、自分の行動の一切の責任を自分で引き受け死んでいきます。
母が死んだその日、ムルソーは一切悲しまなかった。彼はその後海水浴に向かい、女と遊ぶ。また悪友とアラブ人の争いに巻き込まれる。結果太陽の焼け付くような日に海岸でアラブ人を射殺してしまい、その罪で裁判にかけられる。ムルソーはアラブ人を射殺した理由を問われると、「太陽のせいだ」と答え、民衆や裁判官の強い反感と憎悪を受け死刑が決まる。死刑を控えるムルソーのもとに神父がやってきて懺悔を勧めるが、ムルソーはそれを否定する。彼は民衆の憎悪に迎えられながら刑を受けることを望み、死んでゆく。
ムルソーは神に頼ることなく人生の判断を理性で行いました。神の代わりに己の理性を指針としたんですね。ただその理性を狂わせるもの、理性の力が及ばぬものとして太陽として描かれています。人生を突然狂わせる不条理の表すものが太陽ということでしょうか。
さて、今回は『罪と罰』と『異邦人』をつなげてみましたが、次回は映画とつなげて考えてみたいと思います。